上海の特徴的な街並みと言えば、梧桐の街路樹に古い西洋風建築が並ぶ、旧租界の街並みがあります。このような古い建築物が多く見られる地域は主に三つあり、一つは旧フランス租界、あとの二つは、越界築路とよばれる地域です。この越界築路というのは、かつての租界時代に、条約で定められた租界の範囲を越えて、諸外国が道路を建設して公園や学校や住宅を造り、実効支配を広げていった地域のことです。越界築路の地域は二つあり、共同租界の西側に伸びるイギリス人やアメリカ人が多く住んでいた地域と、北側に伸びる日本人が多く住んでいた地域が有ります。
愚園路(愚园路)
1920~30年代の建築物が現在も多く残され、中国政府が指定する「優秀歴史建築」が上海で最も多く47有ります。愚園路はかつての租界の範囲の外に位置し、この辺りはもともと田園や水路が広がる地域でした。1860年代の太平天国の乱の時期に、租界の防衛のための軍事用道路(越界築路)として作られ始めたのが元となり、1911年に道は現在の長さまで延長されました。第一次世界大戦後の1920年代から、愚園路の沿道には多くの高級住宅が作られるようになり、外国人や裕福な中国人、文化人、政府高官などが多く居住する地区になりました。

愚園路

愚園路

愚園路1320弄
1925年建造のイギリス式の一戸建てが5棟有る別荘庭園。現在は政府の金融施設になっています。
汪公館
1931-1934年建造のイタリアンゴシック様式の城風建築。もとは政府高官の王伯群が婚約者のために建てたもの。その後汪精衛(汪兆銘)が南京に中華民国の政府を樹立させていた1940年から1944年の間、上海での住居としていました。(愚園路1136弄31号)
沈鎮故居
1930年代建造。西洋現代式の建築に中国伝統の塔形のスタイルが融合している典型的な例とされています。茶葉大王と呼ばれた茶輸出業の沈鎮が1940年から住んでいました。(愚園路1136弄30号)
愚園路1389号(飲食店)
ロシア人のミュージシャンが1937年に開業したナイトクラブだったところ。面白いデザインの建物です。現在は改装されて飲食店になっています。
愚園路1095号(カフェ)
古い住宅を使ったカフェ
愚園路1203弄
1920年建造。イギリスの化学企業 Brunner Mond の幹部職員の住宅でした。中山公園(中山公园)
愚園路の西端に位置する中山公園(旧称:Jessfield Park)は、1914年に造られたイギリス式の公園です。この辺りはかつての租界の外に位置しますが、1864年の太平天国の乱の時期にイギリス租界の防衛を名目としてJessfield Road(現在の万航渡路)が作られ、その脇にイギリスの貿易商 James Hogg の別荘として作られた庭園が元になっています。

中山公園

中山公園

中山公園
華東政法大学(华东政法大学)
華東政法大学のキャンパスは、万航渡路(1864年に作られた旧称 Jessfield Road)の沿道で、湾曲する蘇州河に囲まれた場所に有ります。ここはかつて1879年から1952年までの間、米国のキリスト教会により設立された Saint John's University(圣约翰大学)でした。キャンパス内には1894年から1909年の間に建てられた建築物が多く残されています。建物の多くは西洋式と中国式が合わさった独特のデザインです。

華東政法大学キャンパス
正門を入ったところ
懐施堂(Schereschewsky Hall)
1895年建造
格致楼(Science Hall)
1899年建造
思顔堂(Yen Hall)
1904年建造
思孟堂(Mann Hall)
1909年建造
華東政法大学キャンパス
蘇州河を渡る橋から見たところ番禹路
1925年に公共租界によって越界築路として造られました。当時はアメリカの都市名にちなんでClumbia Roadと名付けられ、沿道にはアメリカ人によりColumbia Country Clubなどが建設されました。この番禹路と新華路の一帯には高級住宅地が建造され、Columbia Circle(コロンビア住宅圏)と呼ばれました。

Hudec記念館(邬达克纪念馆)
建築家のLászló Hudecが1931年から1937年の間に住んでいた家です。イギリス田舎スタイルの住宅。Hudecは上海市内の国際ホテルや武康大楼など多くの有名な建築物を設計しました。
孫科別墅(孙科别墅)
1931年建造の別荘庭園で、スペイン風の建築。孫文の子である孫科の住居として使われました。
上生新所
孫科別墅の西に隣接している Columbia Country Club(1936年建造)の跡地が現在「上生新所」というショッピングセンターとして利用されています。この建物は蔦屋書店です。
馨悦会所508
イギリスの小説家 J.G.Ballard が生まれ育った家。ここでの体験は映画化された小説「太陽の帝国」に書かれました。1930年頃の建造。現在は改修されてレストランとして利用されています。新華路(新华路)
新華路の前身は古くからあるお寺に続く道だったようですが、1925年に公共租界によって越界築路として改修され、Avenue Amherestと名付けられました。一帯には高級住宅地が建造され、Columbia Circle(コロンビア住宅圏)と呼ばれました。現在上海で最も歴史的な庭園別荘が多い通りと言われています。

新華路179号
1925~1935年建造のドイツ式の住宅。ホテルとして使われている。
新華路200号
1930年代建造の中国宮殿式建築。中華民国の政治家陳果夫の住居だった。
新華路211弄1号
1940年前後の建造。新華路211弄から329弄にかけて一戸建ての庭園住宅が多く造られ、この一帯は新華別墅(新华别墅)と名付けられています。
新華路236号
1930年建造。現在は一般市民の住宅として使われているため管理状態が良くない。
新華路294弄1号
1930年頃の建造。バーとして使われています。
新華路315号
1930年建造のイギリス田舎スタイルの住宅
新華路321号
1930年頃の建造。レストランとして使われている。甜愛路(甜爱路)
魯迅公園の東側に面した道です。

魯迅故居(鲁迅故居)
魯迅が1933年から1936年に亡くなるまで上海で暮らした家。甜愛路の一本東の山陰路に有ります。小さい質素なアパートです。魯迅は上海ではそれまで四川北路の大きなアパートに暮らしていましたが、1932年に第一次上海事変が起こると、身の安全のため親友の内山完造の名義でこのアパートに仮住まいをしていました。
魯迅公園(鲁迅公园)
1896年に共同租界工部局が土地を購入して当初はイギリス式の娯楽場として造られ、その後公園を拡大して1922年に虹口公園と改名され、1988年に魯迅公園に改名されました。現在は主に中国式の公園です。
魯迅の墓(鲁迅墓)
魯迅公園の中に有ります。
甜愛路(甜爱路)
杉並木が続いています
愛のメッセージの壁(甜爱留言墙)
甜愛路はその名前のため上海で最もロマンチックな道と言われ、道に面した壁には愛のメッセージが沢山書き込まれています多倫路(多伦路)
多倫路はかつて多くの文化人が集まっていたことから文化名人街と名付けられています。多倫路は1911年から1918年にかけ、当時の公共租界から北に伸びる越界築路として造られた道です。主に住宅街とされましたが、1920年代から30年代に作家が多く集まるようになり、文学や思想の中心地となりました。

鴻徳堂(鸿德堂)
1928年落成のキリスト教の教堂。珍しい中国宮殿式のデザイン。
内山完造の彫像
内山完造はこの近くに内山書店を開いて日中文化人交流に大きな役割を果たし、また魯迅の親友でもありました。
多倫路85号
1930年代初期建造。日本の洋風化時代の建築と言われている住宅で、今はアクセサリー店になっています。
夕拾鐘楼
近年に新しく造られた建物ですが、魯迅の文集「朝花夕拾」にちなんで夕拾鐘楼と名付けられています。
丁玲の彫像
女性作家丁玲の彫像
老電影咖啡館
建築年不詳だが優秀歴史建築に指定されている住宅。カフェとして使われている。
孔祥熙公館
1924年建造のイスラム風の建築。財閥の孔祥熙と宋靄齢夫婦の別邸。
多倫路の北門
四川北路
共同租界から北に伸びる越界築路として1870年代から1900年代にかけて作られました。1920年代から30年代には繁華街として栄え、日本人もこの一帯に多く集まっていました。現在はかなり寂れていますが当時の面影を残す建築物が残されています。

内山書店跡地(内山书店旧址)
1929年から1945年まで内山書店の有った場所。四川北路と甜愛路、山陰路の交差点。現在は銀行の建物で、記念プレートが掲示されている。(2022年11月から「1927 魯迅与内山紀念書局」に改装されました。)

中行大楼
旧称:中国銀行虹口大楼。1929年建造。南北に細長い建物です。
公益坊と中行大楼
左側の建物は1931年に作られた「公益坊」と呼ばれる住宅と商店が一体化した地域で、現在は「今潮8弄」というショッピングモールになっています。右側の建物は中行大楼を南側から見たところ。

虹口大楼
旧称:虹口大旅社。1927年建造
丁玲旧居
女性作家の丁玲が1933年に住んでいたアパート。四川北路から横道に入った昆山花園路にあります。
上海郵政博物館
旧称:上海郵政総局。1924年竣工岳陽路(岳阳路)
1912年に作られたフランス租界の道。沿道に旧フランス領事館などがあります。旧称 Route Ghisi

上海京劇伝習館(上海京剧传习馆)
1921年建造。当初はアメリカ人医師の住宅。1980年代から上海戯曲芸術中心が入り、京劇の伝統を伝える施設となっている。手前にあるのは京劇俳優周信芳の像。
霖生医院旧址
1920年建造。イギリス式の住宅建築。牛惠霖と牛惠生の兄弟が設立した病院で、兄弟は宋慶齢などとも親しく、抗日戦争時代には教護病院として使われました。建国西路
1912年に作られたフランス租界の道。フランス租界の範囲が大きく拡張する1914年の前に、租界の範囲を越えて西に延びる越界築路として作られました。

建国西路398号
1936年建造。屋根が十字形に交わった形の面白いデザインで、外壁に木の板を張っているアメリカ東部のスタイルを模倣したもの。
建国西路395弄、397号、399号
1928年建造。レンガ木造のアパート。階段を上がった位置に入口が設けられている。
ファミリーマート
建国西路と太原路の角にあるファミリーマートです。建物のデザインが面白い。太原路
1918~1921年に作られたフランス租界の道

蒲石公館旧址(蒲石公馆旧址)
1928年建造。フランス宮廷式の建築で広い敷地の庭園があります。当初はフランス人弁護士 A. Du Pac De Marsoulies(逖百克)の住宅。第二次世界大戦後の1945年から1947年の間、国共両党間の調停の任を受けた元米軍元帥 George Catlett Marshall(马歇尔)が住んでいたことから马歇尔公馆と呼ばれました。現在はホテル(瑞金宾馆太原别墅)として使われています。
蒲石公館旧址(蒲石公馆旧址)

緑に覆われた建物
歴史的建造物ではないようですが、建物全体が緑に覆われているのが面白いです。太原路と永嘉路の角にあります。
太原路4弄
1930年建造の住宅。永嘉路
フランス租界により1920年に作られた道で、旧名称は Route Herve de Sieyes

永嘉路389号
1936年建造。イギリス田園式の住宅。当初はベルギーの商人の住宅で、その後中国人実業家の栄智勲(荣智勋)の住居となりました。陝西南路(陕西南路)
1911年にフランス租界の外における越界築路として作られ、当初はドイツ人医師の名にちなんで Avenue Paulun と名付けられましたが、1914年に拡大したフランス租界の範囲に入った際に、ベルギー国王の名にちなんだ Avenue du Roi Albert に改名されました。

Moller Villa(马勒别墅)
1927年着工、1936年竣工。童話に出て来る城のような北欧風の建築。海運業を営んでいた富豪 Eric Moller の住居でした。
Moller Villa(马勒别墅)
復興中路(复兴中路)
1914年にフランス租界が拡張した時期に作られた道です。当時の高級住宅や高級アパートが多くあります。

復興公園
フランス租界が1899年に拡張した際の租界の西端のすぐ外に位置しています。租界の防衛のために1900年にこの土地に軍隊の施設が作られましたが、その後1909年に公園に作り変えられました。1914年にフランス租界の範囲が更に拡張してからは租界の中では最も大きな公園となりました。中国で唯一のフランス式の公園です。
思南公館(宴会厅)
思南公館はこの地域一帯にある1920年代の建築物を整備して商業施設としたもの。この建物は St. Peter's カトリック小学校だったもので、ビクトリア時代のスタイルです。この建物は改修する過程で、施設全体の建物を調和させるため、建物の向きを東西から南北方向に回転させています。元のレンガにひとつひとつ番号を付けて分解し、番号に基づいて再建させるという方法を取っています。
思南公館(カフェ&ショップ)
1920年代建造の住宅
思南公館(カフェ)
1920年代建造の住宅
復興坊
1927年建造
瑞金酒店
1920年から24年に作られた住宅の建物が現在ホテルの一部として利用されています。
復興中路599号
中国銀行の総経理などを務めた席德懋の旧住居
陝南村(陕南邨)
1930年建造の高級住宅地。旧称 King Albert Apartments(金亚尔培公寓)
復興中路1248弄小区
1932年建造
Elizabeth Apartments
(伊丽莎白公寓)
1930年建造。現代的なデザインの建築。

Blackstone Apartments
(黑石公寓)
1924年建造。左右対称の堂々とした形で古典的なデザインも取り入れています。

Blackstone Apartments
(黑石公寓)
近くから見たところ。結構迫力あります。

Clements Apartments
(克莱门公寓)
1929年建造。フランス式のアパート。

Clements Apartments
(克莱门公寓)
近くから見たところ。やや凝ったデザインです。

復興中路1365-1377号
1920年建造の住宅。
宝慶路9弄1-6号
建造年不詳。復興中路と宝慶路の角にあります。復興西路(复兴西路)
1914年にフランス租界が拡張した時期に作られた道です。復興西路は現在は復興中路と一本の道として繋がっていますが、租界当時は淮海中路のところで途切れている別の道でした。

復興西路193号3号楼
1930年建造のイギリス田舎風の住宅。当時はイギリス人会計士の住居でした。現在は上海市房地産科学研究院の建物になっています。
復興西路147号
1933年建造のスペイン風アパート住宅。ちょっと凝ったデザインです。1950年代から劇作家の柯霊(柯灵)が住んでいたことでも知られています。
衡復風貌館(衡复风貌馆)
復興西路62号。1930年建造のスペイン風アパート住宅。旧名称は Cloister Apartment で中国語では「修道院公寓」と呼ばれていますが、本当は修道院ではなく「回廊のあるアパート」という意味です。現在は「衡復風貌館」という旧フランス租界の歴史的建築物などを紹介する施設になっています。淮海中路
1900年に越界築路として作られた道です。フランス租界を拡張させるための中心的役割として設けられました。当時から繁華街として栄え、それには1920、30年代に多く移住して来たロシア人の影響もありました。

永業大楼(永业大楼)
旧称 Young Apartments(楊氏公寓)。1933年建造。
国泰電影院(国泰电影院)
旧称 国泰大戯院(国泰大戏院)。1932年建造。
聶耳音楽広場(聂耳音乐广场)
聶耳は中国の国歌「義勇軍進行曲」を作曲した音楽家。復興西路と淮海中路と烏魯木斉南路に囲まれた三角形の場所にあります。
淮海中路1768弄
この建物の横の門を入ると、中には1930年代建造のフランス式の住宅が並んでいます。
宋慶齢故居(宋庆龄故居)
宋慶齢が1949年から上海での住居としていたところで、現在は記念館となっています。武康路
最初はアメリカ人の宣教師で政府顧問の John Calvin Ferguson が1890年代に開いた道で、フランス租界公董局が1907年に改修して広げ、彼にちなんで Route Ferguson と名付けました。Route Ferguson は1914年に三つに分けられ、東側が Route Dupleix(現在の安福路)、南側が Route Mgr. Prosper paris(現在の天平路)、その間は Route Ferguson のまま(現在の武康路)になりました。武康路の沿道には歴史的な住宅やアパートなどの建築物が多く、中国政府の指定する歴史文化名街となっています。歴史文化名街は上海では武康路と多倫路、陝西北路の3つが指定されています。

武康大楼
1924年建造。旧称 Normandie Apartments。淮海中路と武康路の交差点の角に位置し、約30°の狭い角地に建てられているため独特のデザインになっています。
武康大楼
横から見たところ
武康路129号
1929年建造の住宅
武康路210号
スペイン風の住宅。1923年建造。
武康路376号
1930年代建造の二階建て住宅。現在は複合商業施設として利用されている。
武康路395号
1926年建造のバロック様式の住宅。かつて政府の研究施設として使われていた。1970年代から上海電影演員劇団の建物として使われている。
正広和洋行大班住宅(武康路99号)
1928年建造のイギリス田舎風住宅。当初はイギリスの酒造会社 Caldbeck MacGregor の経営者の住宅で、その後中国政府高官の住宅にもなりました。天平路
この辺りがフランス租界になる前から武康路とともに作られた古い道です。古い住宅を使った小さな店が幾つかあります。

丁健提琴工作室
バイオリンの工房です
天平路71弄
1941年建造のアパート。丸い窓が面白いです。
天平路51弄
1939年建造のアパート。狭い路地にひしめき合うように並んでいます。
上海文芸医院
写真からはよく見えませんが、1934年建造の地中海式の住宅です。興国路(兴国路)
1920年に北部分が、1932年に南部分が作られました。

興国路
写真は古い住宅を使ったレストラン&バーです。
興国賓館(兴国宾馆)
1922年から1935年に建造された建物が庭園内に幾つか有り、イギリス、ドイツ、フランス、アメリカなどの建築様式を取っています。現在はホテルとして利用されています。衡山路
1922年に作られた道。この道が特徴的なのは、フランス租界のほとんどの道は東西もしくは南北方向に走っているのに対して、衡山路はフランス租界の中心部から南西端の徐家匯に向かって斜めに真直ぐ伸びていること。1914年にフランス租界が拡大した後、徐家匯の天主教堂へ行くための道として作られたその目的が伺えます。旧フランス租界の雰囲気を代表する道とも言われています。

国際礼拝堂
1925年建造巨鹿路
1907年に越界築路として作られた道です。

上海市作家協会
1931年建造の古典ギリシャ様式を模した建築。この中の庭園には壮大な神殿風の建物も有るそうです。実業家の劉吉生が妻の誕生日のプレゼントとして作ったものです。
巨鹿路685号
古い住宅です新楽路(新乐路)
1932~1935年に作られた道です。

金廷蓀旧居
1932年建造。古典的な西洋スタイルの住宅。アヘン輸送保険で儲けていた金廷蓀(金廷荪)のオフィス兼住居でした。現在はホテルとして使われています。
東正教堂
1932年建造。ロシア風の教堂。フランス租界にはロシア人も多く住んでいました。彼らの多くは1917年のロシア10月革命から逃れて来た元貴族などの移民でした。皋蘭路(皋兰路)
1914年にフランス租界により作られた道です。

皋蘭路12弄1-4号
1930年代の建造。モダンなデザインの住宅。
聖ニコラス教会跡地
(圣尼古拉斯教堂旧址)
1934年建造。ロシア風の教堂。現在は改修され書店として使われています。
泰康路
アート・ショッピングスポットの田子坊が有ります。道が作られた1926年当時は200メートルあまりの短い道でした。フランス租界南端の境界となる水路付近に位置していたため、手工業や化学工場など汚染の多い産業がこの辺りに集まっていました。40年代以降は工場、住宅、露店が密集するエリアでしたが、90年代から産業構造の変化により工場が急激に減少すると、その工場跡地が芸術家などに利用されるようになりました。

田子坊
狭い路地一帯がアート・ショッピングスポットとなっています。徐家匯(徐家汇)
現在大きな商業エリアとなっている徐家匯はフランス租界の南西の端に位置しますが、租界の境界を少し越えた場所に学校や聖堂などがフランスにより作られています。と言うより、順序から言うなら、ここに学校や聖堂が有ったから、この近くまで租界の範囲を広げたと言うほうが適切でしょう。

徐家匯天主教堂
1910年に落成したフランス中世様式のカトリックの聖堂。