上海の特徴的な街並みと言えば、梧桐の街路樹に古い西洋風建築が並ぶ、旧租界の街並みがあります。このような古い建築物が多く見られる地域は主に三つあり、一つは旧フランス租界、あとの二つは、越界築路とよばれる地域です。この越界築路というのは、かつての租界時代に、正式な租界の範囲を越えて道路を建設し公園や学校や住宅を造り、租界側が一定の行政権を獲得して、公共サービスを提供していた、準租界とみなされる地域です。越界築路の地域は二つあり、共同租界の西側に伸びるイギリス人やアメリカ人が多く住んでいた地域と、北側に伸びる日本人が多く住んでいた地域が有ります。
この地図は1930年前後の租界および越界築路の範囲を現在の地図に重ね合わせて示したものです。
愚園路(愚园路)
1920~30年代の建築物が現在も多く残され、中国政府が指定する「優秀歴史建築」が上海で最も多く47有ります。愚園路はかつての租界の範囲の外に位置し、この辺りはもともと田園や水路が広がる地域でした。1860年代の太平天国の乱の時期に、租界の防衛のための軍事用道路(越界築路)として作られ始めたのが元となり、1911年に道は現在の長さまで延長されました。第一次世界大戦後の1920年代から、愚園路の沿道には多くの高級住宅が作られるようになり、外国人や裕福な中国人、文化人、政府高官などが多く居住する地区になりました。
愚園路
愚園路
愚園路1389号
ロシア人のミュージシャンが1937年に開業したナイトクラブだったところ。面白いデザインの建物です。現在は改装されて飲食店になっています。
愚園路1320弄
1925年建造のイギリス式の一戸建てが5棟有る別荘庭園。現在は政府の金融施設になっています。
倹徳坊(俭德坊)
倹徳坊は愚園路から奥に入った狭い路地に位置し、かつて共産党地下組織の秘密集会所として使われていました。1949年当時、国民党の陸軍中将でありながら共産党員であった呉石がスパイとして軍事機密情報を共産党側にここから送っていました。(愚園路1293弄)
豊田紗廠幹部住宅
1921年建造。蘇州河沿いに有った豊田紡績工場の幹部職員の住宅。(愚園路1249弄)
愚園路1203弄
1920年建造。イギリスの化学企業 Brunner Mond の幹部職員の住宅。
汪公館
1931-1934年建造のイタリアンゴシック様式の城風建築。もとは政府高官の王伯群が婚約者のために建てたもの。その後汪精衛(汪兆銘)が南京に中華民国の政府を樹立させていた1940年から1944年の間、上海での住居としていました。(愚園路1136弄31号)
沈鎮故居
1930年代建造。西洋現代式の建築に中国伝統の塔形のスタイルが融合している典型的な例とされています。茶葉大王と呼ばれた茶輸出業の沈鎮が1940年から住んでいました。(愚園路1136弄30号)
愚園路1095号
古い住宅を使ったカフェ
愚園路1075号
1915年に上海商業銀行を創業した陳光甫の住宅だったところ。
Paramount Ballroom
(百乐门舞厅)
1931-34年建造。当時の社交界のシンボル的なダンスホールでした。(愚園路218号)
中山公園(中山公园)
愚園路の西端に位置する中山公園(旧称:Jessfield Park)は、1914年に造られたイギリス式の公園です。この辺りはかつての租界の外に位置しますが、1864年の太平天国の乱の時期にイギリス租界の防衛を名目としてJessfield Road(現在の万航渡路)が作られ、その脇にイギリスの貿易商 James Hogg の別荘として作られた庭園が元になっています。
中山公園
中山公園
中山公園
華東政法大学(华东政法大学)
華東政法大学のキャンパスは、万航渡路(1864年に作られた旧称 Jessfield Road)の沿道で、湾曲する蘇州河に囲まれた場所に有ります。ここはかつて1879年から1952年までの間、米国のキリスト教会により設立された Saint John's University(圣约翰大学)でした。キャンパス内には1894年から1909年の間に建てられた建築物が多く残されています。建物の多くは西洋式と中国式が合わさった独特のデザインです。
華東政法大学キャンパス
正門を入ったところ
懐施堂(Schereschewsky Hall)
1895年建造
格致楼(Science Hall)
1899年建造
思顔堂(Yen Hall)
1904年建造
思孟堂(Mann Hall)
1909年建造
華東政法大学キャンパス
蘇州河を渡る橋から見たところ
華東政法大学キャンパス
キャンパス全景武夷路
1925年に公共租界によって越界築路として造られました。沿道には当時の高級住宅が多く残されています。
武夷路458号
1930年代建造の住宅
武夷路321弄
こぎれいな洋風住宅
武夷路295号
赤レンガのアーチの建造物が「295新海芸廊」と名付けられ、アートの展示やイベントなどを行う開放空間として利用されています。
上海質量管理科学研究院
神殿のような石造りの建物(武夷路258号)
武夷路245弄1号楼
1940年頃建造の住宅番禺路
1925年に公共租界によって越界築路として造られました。当時はアメリカの都市名にちなんでColumbia Roadと名付けられ、沿道にはアメリカ人によりColumbia Country Clubなどが建設されました。この番禺路と新華路の一帯には高級住宅地が建造され、Columbia Circle(コロンビア住宅圏)と呼ばれました。
Hudec記念館(邬达克纪念馆)
建築家のLászló Hudecが1931年から1937年の間に住んでいた家です。イギリス田舎スタイルの住宅。Hudecは上海市内の国際ホテルや武康大楼など多くの有名な建築物を設計しました。(番禺路129号)
孫科別墅(孙科别墅)
1931年建造の別荘庭園で、スペイン風の建築。孫文の子である孫科の住居として使われました。(番禺路60号)
上生新所
孫科別墅の西に隣接している Columbia Country Club(1936年建造)の跡地が現在「上生新所」という商業施設として利用されています。この建物は蔦屋書店です。(安西路1262号)
番禺路508号
イギリスの小説家 J.G.Ballard が生まれ育った家。ここでの体験は映画化された小説「太陽の帝国」に書かれました。1930年頃の建造。現在は改修されてレストランとして利用されています。新華路(新华路)
新華路の前身は古くからあるお寺に続く道だったようですが、1925年に公共租界によって越界築路として改修され、Avenue Amherestと名付けられました。一帯には高級住宅地が建造され、Columbia Circle(コロンビア住宅圏)と呼ばれました。現在上海で最も歴史的な庭園別荘が多い通りと言われています。
新華路179号
1925~1935年建造のドイツ式の住宅。ホテルとして使われています。
新華路200号
1930年代建造の中国宮殿式建築。中華民国の政府高官陳果夫の住居でした。
新華路211弄1号
1940年前後の建造。新華路211弄から329弄にかけて一戸建ての庭園住宅が多く造られ、この一帯は新華別墅(新华别墅)と名付けられています。
新華路236号
1930年建造。現在は一般市民の住宅として使われているため管理状態があまり良くありません。
新華路294弄1号
1930年頃の建造。バーとして使われています。
新華路315号
1930年建造のイギリス田舎スタイルの住宅
新華路321号
1930年頃の建造。レストランとして使われています。甜愛路(甜爱路)
魯迅公園の東側に面した道です。
魯迅故居(鲁迅故居)
魯迅が1933年から1936年に亡くなるまで上海で暮らした家。甜愛路の一本東の山陰路に有ります。小さい質素なアパートです。魯迅は上海ではそれまで四川北路の大きなアパートに暮らしていましたが、1932年に第一次上海事変が起こると、身の安全のため親友の内山完造の名義でこのアパートに仮住まいをしていました。
魯迅公園(鲁迅公园)
1896年に共同租界工部局が土地を購入して当初はイギリス式の娯楽場として造られ、その後公園を拡大して1922年に虹口公園と改名され、1988年に魯迅公園に改名されました。現在は主に中国式の公園です。
魯迅の墓(鲁迅墓)
魯迅公園の中に有ります。
甜愛路(甜爱路)
杉並木が続いています
愛のメッセージの壁(甜爱留言墙)
甜愛路はその名前のため上海で最もロマンチックな道と言われ、道に面した壁には愛のメッセージが沢山書き込まれています多倫路(多伦路)
多倫路はかつて多くの文化人が集まっていたことから文化名人街と名付けられています。多倫路は1911年から1918年にかけ、当時の公共租界から北に伸びる越界築路として造られた道です。主に住宅街とされましたが、1920年代から30年代に作家が多く集まるようになり、文学や思想の中心地となりました。
鴻徳堂(鸿德堂)
1928年落成のキリスト教の教堂。珍しい中国宮殿式のデザイン。
内山完造の像
内山完造はこの近くに内山書店を開いて日中文化人交流に大きな役割を果たし、また魯迅の親友でもありました。
多倫路85号
1930年代初期建造。日本の洋風化時代の建築と言われている住宅で、今はアクセサリー店になっています。
夕拾鐘楼
近年に新しく造られた建物ですが、魯迅の文集「朝花夕拾」にちなんで夕拾鐘楼と名付けられています。
丁玲の像
女性作家丁玲の像
老電影咖啡館
建築年不詳だが優秀歴史建築に指定されている住宅。映画をテーマとしたカフェになっています。
孔祥熙公館
1924年建造のイスラム風の建築。財閥の孔祥熙と宋靄齢夫婦の別邸。
多倫路の北門
四川北路
共同租界から北に伸びる越界築路として1870年代から1900年代にかけて作られました。1920年代から30年代には繁華街として栄え、日本人もこの一帯に多く集まっていました。現在はかなり寂れていますが当時の面影を残す建築物が残されています。
内山書店跡地(内山书店旧址)
1929年から1945年まで内山書店の有った場所。四川北路と甜愛路、山陰路の交差点。現在は銀行の建物で、記念プレートが掲示されています。(2022年11月から「1927 魯迅与内山紀念書局」に改装されました。)
中行大楼
旧称:中国銀行虹口大楼。1929年建造。南北に細長い建物です。
公益坊と中行大楼
左側の建物は1931年に作られた「公益坊」と呼ばれる住宅と商店が一体化した地域で、現在は「今潮8弄」というショッピングモールになっています。右側の建物は中行大楼を南側から見たところ。
虹口大楼
旧称:虹口大旅社。1927年建造
丁玲旧居
女性作家の丁玲が1933年に住んでいたアパート。四川北路から横道に入った昆山花園路にあります。
上海郵政博物館
旧称:上海郵政総局。1924年竣工岳陽路(岳阳路)
1912年に作られたフランス租界の道。沿道に旧フランス領事館などがあります。旧称 Route Ghisi
上海京劇伝習館(上海京剧传习馆)
1921年建造。当初はアメリカ人医師の住宅。1980年代から上海戯曲芸術中心が入り、京劇の伝統を伝える施設となっています。手前にあるのは京劇俳優周信芳の像。
霖生医院旧址
1920年建造。イギリス式の住宅建築。牛惠霖と牛惠生の兄弟が設立した病院で、兄弟は宋慶齢などとも親しく、抗日戦争時代には教護病院として使われました。建国西路
1912年に作られたフランス租界の道。フランス租界の範囲が大きく拡張する1914年の前に、租界の範囲を越えて西に延びる越界築路として作られました。
建国西路144-148号
1925年設計。上海の伝統的な連棟式住宅である石庫門のひとつですが、ここは中国式と西洋式を合わせたデザインで、写真の建物は八角形の塔のような形をしています。
ファミリーマート
建国西路と太原路の角にあるファミリーマート。建物のデザインが面白いです。
建国西路395弄、397号、399号
1928年建造。レンガ木造のアパート。階段を上がった位置に入口が設けられているのが面白いです。
建国西路398号
1936年建造。屋根が十字形に交わった形の面白いデザインで、外壁に木の板を張っているアメリカ東部のスタイルを模倣したもの。太原路
1918~1921年に作られたフランス租界の道
蒲石公館旧址(蒲石公馆旧址)
1928年建造。フランス宮廷式の建築で広い敷地の庭園があります。当初はフランス人弁護士 A. Du Pac De Marsoulies(逖百克)の住宅。第二次世界大戦後の1945年から1947年の間、国共両党間の調停の任を受けた元米軍元帥 George Catlett Marshall(马歇尔)が住んでいたことから马歇尔公馆と呼ばれました。現在はホテル(瑞金宾馆太原别墅)として使われています。
蒲石公館旧址(蒲石公馆旧址)
緑に覆われた建物
歴史的建造物ではないようですが、建物全体が緑に覆われているのが面白いです。太原路と永嘉路の角にあります。
太原路4弄
1930年建造の住宅。永嘉路
フランス租界により1920年に作られた道で、旧名称は Route Herve de Sieyes
永嘉路389号
1936年建造。イギリス田園式の住宅。当初はベルギーの商人の住宅で、その後中国人実業家の栄智勲(荣智勋)の住居となりました。
宋子文故居
宋子文(中華民国の実業家、政治家、宋氏家族の一人)の上海での旧居。1928年建造。螺旋階段部分が尖った塔になっていて中世の城のようなデザインです。(永嘉路501号)
永嘉路555号
1932年建造のフランス式ガーデン住宅復興中路(复兴中路)
1914年にフランス租界が拡張した時期に作られた道です。当時の高級住宅や高級アパートが多くあります。
諸聖堂(诸圣堂)
米国の宣教師 Cameron Farquhar McRae らによって1925年に建造されたプロテスタントの聖堂。(復興中路425号)
Park Apartments
(派克公寓)
1926年建造。現在の名称は「花園公寓」。(復興中路455号)
復興中路477号
1920~1936年建造の庭園住宅。現在は学校として使われています。
復興中路492号
1934年建造の住宅。
重慶公寓(重庆公寓)
1931年建造。旧称 Dubail Apartments(吕班公寓)。復興中路と重慶南路の角に有ります。米国人のジャーナリストで中国共産党への支援活動を行っていた Agnes Smedley が1930年代に住んでいたことで知られています。(重慶南路185号)
復興公園
フランス租界が1899年に拡張した際の租界の西端のすぐ外に位置しています。租界の防衛のために1900年にこの土地に軍隊の施設が作られましたが、その後1909年に公園に作り変えられました。1914年にフランス租界の範囲が更に拡張してからは租界の中では最も大きな公園となりました。中国で唯一のフランス式の公園です。
思南公館(宴会厅)
思南公館はこの地域一帯にある1920年代の建築物を整備して商業施設としたもの。この建物は St. Peter's カトリック小学校だったもので、ビクトリア時代のスタイルです。この建物は改修する過程で、施設全体の建物を調和させるため、建物の向きを東西から南北方向に回転させています。元のレンガにひとつひとつ番号を付けて分解し、番号に基づいて再建させるという方法を取っています。
思南公館(カフェ&ショップ)
1920年代建造の住宅(復興中路515号)
思南公館(書店)
1926年建造の住宅(復興中路517号)
復興坊
1927年建造(復興中路553弄)
瑞金酒店
1920年から24年に作られた住宅の建物が現在ホテルの一部として利用されています。
復興中路599号
中国銀行の総経理などを務めた席德懋の旧住居
復興中路1248弄小区
1932年建造
Elizabeth Apartments
(伊丽莎白公寓)
1930年建造。現代的なデザインの建築。(復興中路1327号)
Blackstone Apartments
(黑石公寓)
1924年建造。左右対称の堂々とした形で古典的なデザインも取り入れています。(復興中路1331号)
Blackstone Apartments
(黑石公寓)
近くから見たところ。結構迫力あります。
Clements Apartments
(克莱门公寓)
1929年建造。フランス式のアパート。(復興中路1363弄)
Clements Apartments
(克莱门公寓)
近くから見たところ。やや凝ったデザインです。
復興中路1365-1377号
1920年建造の住宅。復興西路(复兴西路)
1914年にフランス租界が拡張した時期に作られた道です。復興西路は現在は復興中路と一本の道として繋がっていますが、租界当時は淮海中路のところで途切れている別の道でした。
復興西路193号3号楼
1930年建造のイギリス田舎風の住宅。当時はイギリス人会計士の住居でした。現在は上海市房地産科学研究院の建物になっています。
復興西路147号
1933年建造のスペイン風アパート住宅。ちょっと凝ったデザインです。1950年代から劇作家の柯霊(柯灵)が住んでいたことでも知られています。
衡復風貌館(衡复风貌馆)
復興西路62号。1930年建造のスペイン風アパート住宅。旧名称は Cloister Apartment で中国語では「修道院公寓」と呼ばれていますが、本当は修道院ではなく「回廊のあるアパート」という意味です。現在は「衡復風貌館」という旧フランス租界の歴史的建築物などを紹介する施設になっています。宝慶路(宝庆路)
フランス租界が拡張される前の1902年に造られた300メート余りの道です。当初はフランスの極東艦隊司令官Édouard Pottier(1903年没)にちなんでRoute Pottier(宝建路)と名付けられました。
上海交響音楽博物館
1925年建造の庭の広い庭園住宅。最初はドイツ人の住宅でしたが、1930年代に顔料大王と呼ばれた周宗良が住みました。現在は上海交響音楽博物館となっています。(宝慶路3号)
宝慶路9弄1-6号
1930年代建造
宝慶路20号
1920年代建造の住宅が4棟有ります。この写真は1号楼です。桃江路
1913年に造られた400メートル余りの道です。
桃江路
衡山路から西側の部分はアスファルト舗装ではなく石畳になっています。
桃江路25号
1920年代の建造。最初はドイツ領事の住宅でした。
桃江路15号
1920年代の建造。桃江路7、15、21、25号とほぼ同じデザインの住宅が4棟並んでいます。2007年の李安の映画《色,戒》の撮影がここで行われました。
普希金記念碑
ロシアの詩人アレクサンドル・プーシキンの記念碑です。桃江路、汾陽路と岳陽路が交差する三角形のロータリーの中に有ります。1937年に逝去100周年を記念して作られましたが、その後に略奪、破壊を経て1987年に3度目の再建をしたものです。東平路(东平路)
1913年に造られた400メートル足らずの道です。
東平路1号
1914年の建造
東平路9号
1930年の建造。現在は上海市音楽学院付属中学になっています。
東平路10号
1920年の建造汾陽路(汾阳路)
フランス租界が拡張される前の1902年に越界築路として作られた道です。
汾陽路61号
1931年建造のアメリカ式建築で、電話会社の交換所だった建物。
汾陽路45号
1932年建造のスペイン風の住宅で、税関局長を務めた丁貴堂の住居。現在はホテル(汾陽花園酒店)の一部となっています。
汾陽路20号
庭園住宅の建物ですが、当初はユダヤ人クラブとして使われ、中華民国時代にはベルギー領事館として使われました。現在は上海音楽学院の一部となっています。淮海中路
1900年に越界築路として作られた道です。フランス租界を拡張させるための中心的役割として設けられました。当時から繁華街として栄え、それには1920、30年代に多く移住して来たロシア人の影響もありました。
消防署
1911年建造の消防署跡。現在も消防署として使われています。(淮海中路193号)
警察署跡
1914年建造。租界の警察署(巡捕房)の跡。(淮海中路235号)
公董局跡
1909年建造。フランス租界の政府機関(公董局)の跡。現在は商業施設として使われています。(淮海中路381号)
培文公寓
旧称 Bearn Apartments(培恩公寓)。1930年建造。(淮海中路449号)
永業大楼(永业大楼)
旧称 Young Apartments(楊氏公寓)。1933年建造。(淮海中路481号)
瑞金公寓
旧称 Estrella Apartments(愛司公寓)。1926-1927年建造。フランス・ルネッサンス様式で、窓のデザインが特徴的です。淮海中路と瑞金一路の角に有ります。(瑞金一路150号)
国泰電影院(国泰电影院)
旧称 国泰大戯院(国泰大戏院)。1932年建造。(淮海中路870号)
淮海中路1131号
1926年建造。旧ベルギー領事館。現在は上海音楽学院として使われ、音楽城と呼ばれています。
淮海中路1276号
淮海中路1276-1292号は、1930年建造のイギリス農村式庭園住宅で、似た形の建物が5棟並んでいます。現在は商店などとして使われています。
淮海中路1288号
淮海中路1292号
聶耳音楽広場(聂耳音乐广场)
聶耳は中国の国歌「義勇軍進行曲」を作曲した音楽家。復興西路と淮海中路と烏魯木斉南路に囲まれた三角形の場所にあります。
淮海中路1768弄
この建物の横の門を入ると、中には1930年代建造のフランス式の住宅が並んでいます。
宋慶齢故居(宋庆龄故居)
宋慶齢が1949年から上海での住居としていたところで、現在は記念館となっています。(淮海中路1843号)武康路
最初はアメリカ人の宣教師で政府顧問の John Calvin Ferguson が1890年代に開いた道で、フランス租界公董局が1907年に改修して広げ、彼にちなんで Route Ferguson と名付けました。Route Ferguson は1914年に三つに分けられ、東側が Route Dupleix(現在の安福路)、南側が Route Mgr. Prosper paris(現在の天平路)、その間は Route Ferguson のまま(現在の武康路)になりました。武康路の沿道には歴史的な住宅やアパートなどの建築物が多く、中国政府の指定する歴史文化名街となっています。歴史文化名街は上海では武康路と多倫路、陝西北路の3つが指定されています。
武康大楼
1924年建造。旧称 Normandie Apartments。淮海中路と武康路の交差点の角に位置し、約30°の狭い角地に建てられているため独特のデザインになっています。
武康大楼
横から見たところ
武康路395号
1926年建造のバロック様式の住宅。一時期は政府の研究施設として使われ、1970年代から上海電影演員劇団の建物として使われています。
武康路392号
1920年代の建造。ルネッサンス様式やバロック様式などを複合したようなデザイン。
武康路390号
1932年建造。イタリア領事の官邸だった建物。地中海式の庭園住宅。
武康路376号
1930年代建造の二階建て住宅。現在は複合商業施設として利用されています。
思賢楼
1936年に創設された上海世界小学校だった建物。(武康路278号)
開普敦公寓
1940年建造。現代的なデザインのアパートメント。建物の南端はまるで船の舳先のように尖っています。(武康路240-246号)
武康路210号
スペイン風の住宅。1923年建造。
武康路129号
1929年建造の住宅
密丹公寓
1931年建造。独特の装飾があるアールデコスタイルの建築。武康路と湖南路の角に有ります。(武康路115号)
正広和洋行大班住宅
1928年建造のイギリス田舎風住宅。イギリスの酒造会社 Caldbeck MacGregor の経営者の住宅だった建物。(武康路99号)天平路
この辺りがフランス租界になる前から武康路とともに作られた古い道です。古い住宅を使った小さな店が幾つかあります。
丁健提琴工作室
バイオリンの工房です
天平路71弄
1941年建造のアパート。丸い窓が面白いです。
天平路51弄
1939年建造のアパート。狭い路地にひしめき合うように並んでいます。
上海文芸医院
写真からはよく見えませんが、1934年建造の地中海式の住宅です。興国路(兴国路)
1920年に北部分が、1932年に南部分が作られました。
興国賓館(兴国宾馆)
興国路と華山路に囲まれた区域には幾つもの庭園住宅が有り、これらは1920~30年代にイギリスの貿易商Butterfield & Swire(太古洋行)の幹部社員の住宅として建てられたものです。現在ではこの敷地全体がホテル(興国賓館)になっています。(興国路72号)
興国賓館商務楼
興国賓館1号楼
1934年建造のパッラーディオスタイルの建築。Butterfield & Swire社の上海本社として建てられたもの。
興国賓館2号楼
1925年建造のイギリス式住宅。
興国賓館3号楼
1922年建造
興国賓館6号楼
1922年建造のフランス式住宅。この写真は南西側から見たところで、南側の庭に面した部分は1935年に拡張された部分で窓がとても大きく設計されています。
興国賓館6号楼
北側から見たところ。南側とはまた佇まいが異なります。
興国賓館7号楼
1934年建造のイギリス式住宅。
興国路376号
リビング部分が円形に設計されていて、屋根のデザインも面白いです。現在はアクセサリーショップとして使われています。
興国路91号
古い住宅を使ったレストラン&バー。華山路(华山路)
太平天国の乱の時期の1862年に当時の英仏米租界連合が軍事用道路として建設を開始し1864年に完成した道です。当時の道路交通網の要所とされた静安寺と、当時の水運の要所でカトリックの拠点だった徐家匯とを結んでいます。1914年にフランス租界が拡大した際には、この道が租界の西側の境界とされました。
静安寺
華山路の北の端と静安寺です。
華山路
華山路267号付近の街並み。
華山路229-285弄
1912-1936年建造の住宅群で、かつては大勝胡同と呼ばれていました。胡同というのは北京特有の路地の呼び方ですが、これは北京で活動していたカトリック教会の投資によって建設されたため、それにちなんで名付けられました。衡山路
1922年に作られた道。この道が特徴的なのは、フランス租界のほとんどの道は東西もしくは南北方向に走っているのに対して、衡山路はフランス租界の中心部から南西端の徐家匯に向かって斜めに真直ぐ伸びていること。1914年にフランス租界が拡大した後、徐家匯の天主教堂へ行くための道として作られたその目的が伺えます。旧フランス租界の雰囲気を代表する道とも言われています。
衡山路
国際礼拝堂
1925年建造。プロテスタントの礼拝堂で、主にアメリカ人のために建てられました。この向かいにはアメリカンスクールもありました。(衡山路53号)
呉興公園
衡山路と呉興路の交差点にある小さな公園で、天使の像の小さな噴水が有ります。別名「麗波·水漾」。公園の前にある建物(呉興路87号)は1928年建造の現代的なデザインの庭園住宅で、現在は上海体育科学研究所として使われています。
百代公司旧址
1921年に建てられたレコード会社(百代公司)の建物で、中国の国歌《義勇軍進行曲》が1935年に最初にここで録音されたことから、現在は記念館となっています。建物全体が赤レンガで覆われていることから「百代小紅楼」の愛称で呼ばれています。徐家匯公園の中に有ります。(衡山路811号)徐家匯(徐家汇)
現在大きな商業エリアとなっている徐家匯はフランス租界の南西の端に位置しますが、租界の境界を少し越えた場所に学校や聖堂などがフランスにより作られています。と言うより、順序から言うなら、ここに学校や聖堂が有ったから、この近くまで租界の範囲を広げたと言うほうが適切でしょう。
徐家匯天主教堂
1910年に落成したフランス中世様式のカトリックの聖堂。
徐匯公学旧址(徐汇公学旧址)
1850年にフランスにより設立されたキリスト教系の学校で、天主教堂と同じ敷地内に有ります。この建物(崇思楼)は1918年竣工。現在は徐匯中学となっています。巨鹿路
フランス租界が拡張される前の1907年に越界築路として作られた道です。
上海市作家協会
1931年建造。この奥の庭園は古代ギリシャ様式を模した壮大な神殿風の造りになっています。実業家の劉吉生が妻の誕生日のプレゼントとして作ったものです。(巨鹿路675号)
作家書店
上海市作家協会の道路側の建物は書店になっています。(巨鹿路677号)
巨鹿路685号
古い住宅です。入口周辺のデザインが面白いです。長楽路(长乐路)
1902年から越界築路として作られ始めた道です。1914年にフランス租界が拡張してから西に延ばされ続け、1946年に現在の長さになりました。沿道には多くの庭園住宅があります。
長楽路333号
1930年代建造の庭園住宅。この並びは同じ建築事務所による住宅群になっています。
長楽路333号
長楽路580号
スペイン風の住宅。建造年代不明。
長楽路666号
実業家の潘宗周の旧居。潘宗周は蔵書家で宋代の貴重な書物を多く所蔵していたことからこの建物は宝礼堂と呼ばれました。現在は歯科医院として使われています。
田漢の像
田漢は劇作家で、中国の国歌「義勇軍進行曲」を作詞した人です。長楽路と富民路と東湖路が交差する三角形の広場にあります。
延慶路4弄
1940年代建造のアパート。緑色の壁でデザインが面白いです。田漢の像のある広場の南側にあります。
長楽路800号
1930年代建造の古典式庭園住宅。南昌路
フランス租界が拡張される前の1902年に越界築路として作られた道です。
南昌路
南昌路38号
キリスト教ルーテル教会の礼拝堂が有った建物。
科学会堂1号楼
1926年建造のフランス学堂だった建物。壁一面に黒い小石を張り付けたデザインです。(南昌路47号)
大同幼稚園旧址
中国共産党が、革命の犠牲となった党員の遺児の保護や教育を目的として1931年に造った幼稚園の跡です。(南昌路48号)
林風眠旧居
画家の林風眠が1950年代に上海での住居としていた建物。(南昌路53号)
科学技術協会8号楼
1931年建造のフランス総会だった建物。(南昌路57号)
陳群公館
汪精衛(汪兆銘)政権時代に内政部長だった陳群の旧居(南昌路63号)
南昌路79号
イギリス式の住宅。塀に「黄鹂」という1930年代の詩が書かれています。
南昌路128号
1910年代から30年代に建造された住宅群。
南昌路168弄
1921年建造の住宅群がリフォームされ、周囲が小さな公園のように整備されています。
南昌路169号
建築年代不詳
南昌路212弄
1925年建造の住宅群。建物のデザインが少し変わっています。
上海市気功研究所
建築年代不詳(南昌路220号)
南昌路280-290号
建築年代不詳
南昌大楼
南昌路と茂名南路の角。1933年建造。旧称Astrid Apartments。(南昌路294-316号)思南路
1914年にフランス租界が拡張した時に作られた道で、周囲には西洋式住宅が多く建てられました。道の名前は当初1912年に亡くなったフランスの音楽家 Jules Massenet(ジュール・マスネ)にちなんで Rue Massenet(馬斯南路)と名付けられ、1946年に名前は思南路と変更されましたが、これは貴州の思南県にちなんでいるのと同時に、元の馬斯南路と発音が近いものとなっています。
思南路36号
1921年建造
思南路38号
建築年代不詳
思南路44号
建築年代不詳
古董花園
アンティークな内装のカフェで、店内がドラマの撮影に使われることもあります。(思南路44号)
上海孫中山故居紀念館
孫中山(孫文)が1918年から1924年の間に上海における住居としたところ。記念館になっています。(香山路7号、思南路付近)
思南路48号
1918年建造の住宅
上海市文史研究館
1920年代建造のスペイン式住宅。上海市政府の文化歴史研究機構に使われています。(思南路39-41号)
スターバックス
思南路と復興中路の交差点にあるスターバックス(思南路50号)。ここから東側一帯は1920年代建造の住宅群が整備されて思南公館というショッピングエリアとなっています。復興中路のところで紹介しています。
思南路58号
国民党軍で司令長官などを務めた朱紹良の旧居。この隣には国民党幹部の張静江や李石曽の旧居が並んでいます。
中国共産党代表団上海駐在事務所記念館(周公館)
中国共产党代表团驻沪办事处纪念馆(周公馆)
1920年代建造のスペイン式住宅。1946年から1947年の国共交渉の時期に中国共産党代表団の上海駐在事務所が置かれました。当時は事務所としての看板を掲げることができず、周恩来がここで生活し仕事をしていたことから周公館と呼ばれました。現在は記念館として整備されています。(思南路73号)
中国共産党代表団上海駐在事務所記念館(周公館)
中国共产党代表团驻沪办事处纪念馆(周公馆)
思南路75-95号
1920年代建造の住宅群。建物はきれいにリフォームされ高級住宅となっています。
国民党地方警察署旧址
思南路と建国中路の角に有ります。(建国中路18号)瑞金二路
フランス租界が拡張される前の1907年に越界築路として作られた道です。
瑞金二路26号
1920年代の建造。児童文学作家の陳伯吹が1970年代から住みました。
瑞金賓館1号楼
1917年の建造の庭園住宅。現在はホテルの一部として利用されています。(瑞金二路118号)
瑞金賓館2号楼
1920年代建造の庭園住宅。現在はホテルの一部として利用されています。(瑞金二路118号)
梅屋庄吉旧居
1930年代建造の住宅。孫文の辛亥革命を支援した日本人実業家の梅屋庄吉の住居跡です。(瑞金二路144号)
瑞金二路148号
1930年代建造の住宅
瑞金二路158号
1930年代建造の住宅茂名南路
1914年にフランス租界が拡張された際に作られた道です。旧称 Route Cardinal Mercier(迈尔西爱路)
蘭心大戲院(兰心大戏院)
1931年建造の劇場。英語名 Lyceum Theatre。(茂名南路57号)
花園飯店(花园饭店)
1924-1926年建造。もとはフランス総会(Cercle Sportif Français)。現在はホテルの一部として使われています。(茂名南路58号)陝西北路(陕西北路)
陝西北路で租界時代の建造物が残っているのは現在の新閘路よりも南の部分です。この南側の部分は1905年に共同租界によって造られ、イギリス海軍将校George SeymourにちなんでSeymour Road(西摩路)と名付けられました。新閘路から北側の部分は新中国成立後に延長され現在の長さになりました。陝西北路は歴史的な建築物が多く、中国政府の指定する歴史文化名街となっています。
何東旧居
1926年建造。香港の実業家である何東の住居跡です。現在は上海辞書出版社などとして使われています。 (陝西北路457号)
西摩公館
1920年代の建造。この奥には太平花園と呼ばれる住宅群が有り、道路に面した建物はホテルとして使われていました。(陝西北路440-470号)
猶太住宅(犹太住宅)
1913年建造。裕福なユダヤ人が住んでいたことからユダヤ人住宅(猶太住宅)と呼ばれていました。(陝西北路430号)
許崇智旧居
国民党の広東軍総司令であった許崇智が、1925年に蒋介石により失脚させられた後、避難のため上海に移り住んだ住居の跡です。(陝西北路380号)
懷恩堂
プロテスタントの教堂です。懷恩堂は当初1910年に四川北路に建てられましたが、1937年の上海事変のため移転し、この場所で1940~42年に建てられました。(陝西北路375号)
西摩別墅
民国時代に建造されたレンガ造り3階建てのアパートです。道路に面した部分には「ジュリエットのベランダ」と呼ばれるデザインが施されていますが、これは後年に付け加えられたものです。(陝西北路342号)
榮宅
製粉業と紡績業で財を成し"麵粉大王"、"棉紗大王"と呼ばれた榮宗敬の旧居で、とても大きく豪華な庭園住宅です。1918年建造。(陝西北路186号)
榮宅
陝西南路(陕西南路)
1911年にフランス租界の外における越界築路として作られ、当初はドイツ人医師の名にちなんで Avenue Paulun と名付けられましたが、1914年に拡大したフランス租界の範囲に入った際に、ベルギー国王の名にちなんだ Avenue du Roi Albert に改名されました。
Moller Villa(马勒别墅)
1927年着工、1936年竣工。童話に出て来る城のような北欧風の建築。海運業を営んでいた富豪 Eric Moller の住居でした。(陝西南路30号)
Moller Villa(马勒别墅)
陝西南路214号
1910年代建造の住宅。
陝西南路61号
佇まいがいい感じの建物です。小龍鳳餐室という香港式レストランになっています。
陝西南路39弄20号
この一帯、陝西南路39弄1-103号は、旧称Verdun Terraceと呼ばれた住宅群です。1925-1929年の建造。
陝西南路39弄92号
陝西南路188弄1号
1927年建造の住宅。
陝西南路186弄1号
1927年建造の住宅群。ここから奥に同じデザインの住宅が20戸続いています。
陝西南路186弄3-4号
20戸ある住宅の各戸の門と玄関の間は広い庭になっています。
長楽路247号
陝西南路と長楽路の角にある建物です。
陝西南路164号
1930年代の建造。陝西南路と長楽路の角にある建物です。(長楽路325号、陝西南路164号)
陝南村(陕南邨)
1930年建造の高級住宅地。旧称 King Albert Apartments(金亚尔培公寓)。復興中路との角に位置し、同じ設計の16棟の建物が有ります。(陝西南路153-185号)
陝南村(陕南邨)
近くから見たところ。角の部屋は八角形のような窓のデザイン。紹興路(绍兴路)
1926年に造られた400メートル余りの道です。
紹興路
紹興路42号
1933年建造の住宅。これと似た設計の住宅が幾つか有ります。
紹興路37号
窓一面にビールの缶が並んでいるバー
紹興公園
孫文の辛亥革命を支援した日本人実業家の梅屋庄吉の像です。この近く瑞金二路に住居跡が有ります。
紹興路9号
1935年建造。フランスの警察と軍人のクラブだった建物。
紹興路5号
建造年代不明。大きな庭園住宅で、この写真は建物の一部が庭に続く門になっている部分。現在は上海市版権局、上海市電影局、上海市新聞出版局などとして使われています。新楽路(新乐路)
1932~1935年に作られた道です。
金廷蓀旧居
1932年建造。古典的な西洋スタイルの住宅。アヘン輸送保険で儲けていた金廷蓀(金廷荪)のオフィス兼住居でした。現在は商業施設として使われています。(新楽路82号)
東正教堂
1932年建造。ロシア風の教堂。フランス租界にはロシア人も多く住んでいました。彼らの多くは1917年のロシア10月革命から逃れて来た元貴族などの移民でした。(新楽路55号)
新楽路22-32号
1923年建造の庭園住宅。皋蘭路(皋兰路)
1914年にフランス租界により作られた道です。
聖ニコラス教会跡地
(圣尼古拉斯教堂旧址)
1934年建造。ロシア風の教堂。現在は改修され書店として使われています。(皋蘭路16号)
皋蘭路12弄1-4号
1930年代の建造。モダンなデザインの住宅。
皋蘭路11-17号
1914年頃建造のイギリス風住宅。現在は一部が幼稚園として使われています。
張学良故居
張学良が1934年前後に上海での住居としていたところ。スペイン風白壁の3階建て住宅。(皋蘭路1号)泰康路
アート・ショッピングスポットの田子坊が有ります。1926年に作られた道で、フランス租界南端の境界となる水路付近に位置していたため、手工業や化学工場など汚染の多い産業がこの辺りに集まっていました。1940年代以降は工場、住宅、露店が密集するエリアでしたが、90年代から産業構造の変化により工場が急激に減少すると、その工場跡地が芸術家などに利用されるようになりました。

